立岩 [日記]
網野で泳いだ翌日は、のんびりと丹後半島を周遊して家に帰ることにしました。ここは「立岩」。高さが20mもある巨大な一枚岩です。
今から1,500万年前に地下から噴出したマグマが冷えて固まってできたのだとか。
近くには、間人皇后と聖徳太子の母子像がありました。聖徳太子の母で、用明天皇の后の穴穂部間人皇后が、蘇我、物部氏間の戦乱からこの地に逃れ住んだそうです。
このあたりの地名は「間人」で「たいざ」と読みます。穴穂部間人皇后は「あなほべのはしひとのひめみこ」。飛鳥へ帰る時に里人へ感謝の念を込め自らの名「間人」を村名に贈ったのを、里人は皇后の名をそのまま地名にするのはおそれ多いとして、皇后の御退座にちなみ、「間人」と書いて「たいざ」と読み伝えたといわれているそうです。
この話は古事記や日本書紀には出てこないそうなのですが、ずっと語り継がれてきたのであれば、何かしらの出来事があったのでしょうか。
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