越中岩瀬 [日記]
中島閘門を見学したあと、再び富山地方鉄道の富山港線に終点の岩瀬浜まで乗りました。
岩瀬地区は江戸時代初期から日本海を行き来する北前船の港町として栄えてきたそうです。
ちょうど翌日が「岩瀬曳山車祭」だったようで、雨の中に曳山車(ひきやま)が置いてありました。曳山車は11台あるそうで、それぞれ趣向を凝らした「たてもん」とよばれる飾りが付けてあるそうです。
夜には祭りは最高潮となり、山車どうしが激しくぶつかり合い、互いの力を比べる「曳き合い」がメインイベント。別名「けんか山車」と呼ばれる勇壮なお祭りなのだそうです。
そんな「けんか山車」からは想像がつかない、土蔵や廻船問屋が建ち並んだ落ち着いた街並みが続いていました。
有料で公開されていた「馬場家」。馬場家は、江戸後期から活躍した北前船主・廻船問屋の家で、「岩瀬五大家」の筆頭に挙げられ、北陸の「五大北前船主」のひとつにも数えられている、いわゆる豪商の家。
現在の建物は明治6年の東岩瀬の大火の後に、以前の部材を用いて建てられたといわれているそうですが、家の中の通路といい、広間の広さと言い、それはもう立派なものでした。
明治中頃には汽船経営で成功したそうで、そのころの金庫でしょうか、たくさん並んでいました。
台所にポンプ式の井戸。災害時にも困らなさそうです。
近くにもう一軒、「森家」という北前船廻船問屋が公開されていたようですが、残念ながら今年の地震の影響で耐震補強工事が完了するまで休館とのことで見学することはできませんでした。
富山市の日本海側にこんな街並みがあるのは全然知りませんでしたが、いいところでした。
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