軍艦島上陸 [日記]
この島が軍艦島と呼ばれるのは、その姿が軍艦に似ているからだと思いますが、この角度が一番軍艦に似ているように思いました。天気が良すぎて逆光です^^;
高島を出航してすぐに二つの島が見えてきました。左側がめざす軍艦島(端島)、右側は中の島という島で、二つの島は700mほどしか離れていないそうです。中の島でも炭鉱が開発されましたが、坑道での出水が多かったとかで、1893年(明治23年)には操業を停止したそうです。後に軍艦島で無くなった方の火葬場や納骨堂が建てられたとか。
船はだんだんと軍艦島に近づいていきます。小さな島にたくさんの建物が密集しているのがわかりました。
写真中央の建物が端島小中学校、その右側の9階建ての建物の屋上には保育園があったそうです。左端に見える白いものはツアー船。桟橋には一隻しか着岸できないようで、この白い船が出た後に本船が入ることになるようでした。
上陸ツアーの料金には見学施設利用料も含まれていますが、その利用料は310円。港や見学コースの整備に使われているのでしょうが、もう少し高くても良いように思いました。
島の周囲を一周してようやく桟橋に到着。元々軍艦島には港はなく、戦後の1954年(昭和29年)に沖合にドルフィン桟橋という杭を打ち込んで作られた係留施設が作られそうです。初代は台風で流出、二代目も台風で流出し、現在のものは1962年(昭和37年)に作られた三代目だそうです。
桟橋は階段状になっていて、潮の干満に合わせて上陸する段を選択する構造になっていました。
上陸してまず目に入ってくるのがこの景観。真ん中の茶色い建物が総合事務所だったそうです。白い灯台は閉山後に灯りの無くなった軍艦島の位置を船に知らせるために新たに設置されたもの。
下の写真中央に階段が見えていますが、ここが第二竪坑坑口桟橋跡。炭鉱夫は毎日ここからエレベータで地下の坑道に降りて行ったそうです。
高島の資料館に展示してあった断面図を見ると、第二竪坑は地下600mまで降りていたようです。どんなエレベーターだったのでしょうか…。想像がつきません。
一方でこちらの建物は三菱の上級社員や来客向けのクラブハウスは見晴らしの良い高い位置に建てられていたようです。
見学エリアは炭鉱区域が中心だったので、ガイドの方が高島で言っておられた過去の生活を偲ぶものはあまり無かったと思いますが、炭鉱夫の皆さんの生活は伝わってきたように感じました。
何よりすばらしい好天の日に軍艦島に無事に上陸できてラッキーでした。
1時間弱の滞在時間でしたが、がむしゃらに走っていた時代の日本の一面を見ることができた、貴重な体験になりました。
滞在時間が1時間でしたか。もうすこしゆったり見たいですね。
by JUNKO (2024-06-29 13:07)
10年くらい前に、行っていますがあいにく台風で桟橋が壊れ上陸できませんでした。
そのかわり、普段上陸で行かない裏側を船でまわってよくみせてくれました(桟橋工事は短期ではなく数か月かかった)
by わたし (2024-07-01 12:07)