3月28日(日)の朝日。串本のホテルから撮影しました。
朝日がきれいだということで早起きしたのですがあいにくの曇り空。
仕方なく露天風呂に入っていると、雲間から朝日が見えてきました。
この日の予定は、一番札所の那智勝浦の青岸渡寺が決まってるだけ。
せっかくの串本なので、ちょこっと観光へ。
まずは串本大橋を渡って紀伊大島へ行ってきました。
大島東端の樫野崎には、樫野灯台があります。
1870年に出来た日本最初の石造り灯台だそうです。
高さ約15mと灯台自体はそんなに高くはありません。
螺旋階段が設置されていて、上部の展望エリアは自由に見学することができました。
説明板によると、幕末の1866年(慶応2)に、米・英・仏・蘭4ヶ国と結んだ「改税条約」(江戸条約)で、
建設することを約束した8ヶ所の灯台(観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬、潮岬)の一つとのこと。
島の南側をたくさんの船が行き来しているのが見えました。海の交通の要衝なんですね。
当時の列強が望んだだけのことはあるなって思いました。
近くにはエルトゥールル号遭難慰霊碑があります。
近畿地方のテレビでは慰霊祭があるとニュースで報道されることもあるので、ご存知の方も多いと思いますが、1890年(明治23)9月16日夜、オスマントルコ帝国海軍のエルトゥールル号が台風によりここの沖で座礁沈没、587名が亡くなられました。大島の住民たちの懸命な救助活動によって、69名が救出されトルコへ生還することができ、日本とトルコの友好関係を示すエピソードとしていまや欠かせないものとなっています。
このあたりは海釣りのメッカ。早朝からたくさんの方が岩の上におられました。
高波には気をつけてくださいね!
灯台のあたりからは自衛隊のレーダーも見えます。
広い太平洋に目を光らせるには絶好の位置なんでしょう。
駐車場の近くできんかんが売られていました。蜂蜜漬けにでもしようと買って帰りました。
樫野崎の駐車場で地図を見ていると、車ですぐのところに巨岩が海面から突き出す海金剛というのがあるというので行ってみました。
海金剛の駐車場横に「日米修交記念館」がありましたが、朝早いのでまだ開館してませんでした。
ここは、ペリーの黒船来航より62年も前の1791年(寛政3年)に大島に来た2隻のアメリカ商船に関する資料が展示されているそうです。
帰ってから知ったのですが、アメリカにおいては日本に最初に渡航して交易を申し込んだのはこのときということになっているそうです。
住民に警戒心を与えないために漂着を装ったことから、未だに「漂着」として扱われ、日本の歴史教科書ではほとんど触れられることもなく、ペリー来航が日米の初接触ということになっているとか。
時代的にもペリー来航ほどのインパクトは無かったのでしょうね。
日米修交記念館からタカノス園地と書かれたところの道を歩くと、数分で目の前が開けます。
タカノス園地って何だろうと思ったのですが、ここを鷹ノ巣岬をいうそうなので、鷹ノ巣公園でいいと思うのですが…
海に突き出した岬の先端が樫野灯台
なんて思ってたら、鳥が何かくわえて飛んでました。
これって、鷹でしょうか… とんびですよね。
でも鷹が巣をつくるから鷹ノ巣岬っていうのかな?
海金剛の次は潮岬へ。
台風の季節になると何度も耳にする潮岬。
ここにも樫野崎と同じく、灯台がありました。
この潮岬灯台は200円で上部へ登れました。
少し丸く見える水平線にちょっと感激^^
ちょこっとのつもりが、かなり時間をかけてみて廻ったので、本州最南端のクレ崎には行かず、主目的地である勝浦へ向かうことにしました。
串本の市街から国道を勝浦方面に走ると、すぐに橋杭岩が見えてきました。
海岸から紀伊大島方面へ大小約40の岩が連続してそそり立っています。
その姿が橋の杭のように見える、ということらしいです。…なるほど。
こんな看板もあって、勉強になりました。^^;
近くで見ると迫力があります。いやいや、興味は尽きません。
もう一度、最初の朝日の写真です。
太陽の左側の飛び石みたいなのが橋杭岩。右側が紀伊大島だったんですね。
この写真を撮った時点では、どちらもわかっていませんでした^^;
それにしても串本、いいところです。
ちょこっとだけ観光するつもりでしたが、改めてゆっくりとまわりたいって思いました。
このあと、また寄り道して太地町へ行きました。後日書きたいと思います。