5月4日。西国三十三ヶ所の第六番札所の奈良・壷阪寺に行ってきました。昨年の3月に泉南~紀州方面を巡って以来、1年ぶりの巡礼となりました。
お寺の名前からか、「思う壷」というネーミングのお守りがありました。他にもおみくじなどの「思う壺」がありましたが、「念ずれば花開く」ってことでしょうか… ちょっと違うかな?
今年は少なくなるのかなとの予想は外れたようで、GWの京都は今年も他府県ナンバーの車であふれています。日帰りの方が多いのか、午後になると「え~こんな道まで…」って思うところまで渋滞したりしていました。こんなときは飛鳥へ脱出がここ数年のパターンです。
飛鳥方面にはたびたび行くものの、明日香村を巡ることがほとんどなので、あと少し足を延ばせば行けるはずの壷阪寺には、なかなか行く機会がありませんでした。
近鉄の壷坂山駅からお寺へのちょっと小さめのバス。さすがにGWだけあって、ちょうど満員になるくらいの方が乗り込まれました。
壷阪寺は8世紀のはじめ、元興寺の僧弁基がこのあたりで修行していたところ、水晶の壷に観音菩薩が浮かんだといいます。そして弁基は、その壷を阪の上に安置し、観音像を彫りお寺を開いたそうで、これが名前に由来だとか…。
本堂の八角円堂に安置されている十一面千手観音菩薩像は「目の観音様」として篤く信仰されています。大きく眼を見開かれていますね。
桓武天皇をはじめ、歴代の天皇がここに眼病治癒祈願に訪れられたそうですが、「妻は夫をいたわりつ~、夫は妻に慕いつつ~」の一節があまりに有名なお里沢市の「壺坂霊験記」により、眼病封じの寺として一躍有名になったようです。
沢市の名を冠した目薬が売られているのを見て、「ご利益商法」?って最初は思ったのですが、それは間違いのようでした。
駐車場を入ってすぐのところに、「慈母園」とういう老人ホームがありました。ここは昭和36年、日本で最初の養護盲老人ホームとして開園されたそうです。壺坂霊験記で有名になった壷阪寺に住みたいと目の不自由な方が所望されたのが始まりとか…。嗅覚と聴覚と触覚によって自然を楽しめるように作られた「匂いの花園」や「点字図書館」が設けられているそうです。
福祉事業にも取り組まれているお寺さんだと思うと、こんな「運のめ」を開くための絵馬も、茶目っ気があって微笑ましくなります。
ただ、このお寺がインドでのハンセン病患者救済活動に貢献されたことから、境内にはインドで彫られた石造物が多数あり、日本風の木造建築物と並んでいるのを見ると、かなり違和感があります。さらには、魔除の鬼が並んでいたりするので(由来はわかりません…)、境内はかなり混沌とした印象です。
鬼の後ろに見えるのが釈迦一代記のレリーフ。カオスな空間になっていました…
"天竺渡来”の壷阪大仏
同じく"天竺渡来”の観音像と涅槃像
境内からは、奈良盆地が見えるとのことでしたが、あいにくの黄砂でぼんやりとして、よくわかりませんでした。
ちょうど、八重山吹の花が満開。
山吹色、春から初夏への季節の移り変わりが感じられて、とても好きな色なんです^^。
気がつけば西国三十三ヶ所巡礼も、番外札所を含めてあと4つの札所を残すのみとなりました。
確かはじめたのが2007年だったと思うので、5年目でようやく満願が見えてきました^^。