今日で阪神淡路大震災から20年。ついこの前のことのように思います。
京都で全国女子駅伝が開かれた翌日の月曜日早朝の突然の揺れ、京都も大きく揺れ、暗い中で部屋の中で、まだ小さくて一緒に寝ていた子供たちに覆いかぶさりながら、経験の無い大きな揺れに何もすることができませんでした。
- 日記
余震が続く中、動いている交通機関を利用してなんとか会社にたどり着いたのですが、テレビを見たら高速道路の高架が倒壊しているのを見て、日本でこんなことが起こったことに、生まれて初めてといってもいい強い衝撃を受けました。
しばらくして、救援物資を届けるために丹波方面へ迂回して明石から神戸に入りましたが、火災の現場、ビルや高速道路の倒壊を目のあたりして言葉を失いました。
会社関係の被害状況を記録するためにカメラ持っていましたが、被災の現場に向けることが申し訳なさからできなくて、車の中から窓ガラス越しに数枚だけしかシャッターを押せませんでした。
被害がほとんどなかった京都に住みながら発言するのは少しはばかられるところもありますが、その後、関西地区以外のテレビが通常放送に戻ると聞いたときの複雑な思いは3.11の後にも感じましたし、地下鉄サリン事件が発生すると、全国ニュースから神戸の報道がなくなっていったときも、なにかやるせない気持ちになったことを覚えています。
自然災害は人知をこえたもの。しかし、これからも遭遇するであろうさまざまな自然災害に対して、わたしたちができる備えはまだまだあるはずです。今日一日はそうしたことを考える日にしたいと思っています。