6月の上旬、まだ梅雨空が続く頃に行った、京都近美で開催されていた「青木繁展」について書こうと思います。
6月の上旬、まだ梅雨空が続く頃に行った、京都近美で開催されていた「青木繁展」について書こうと思います。
今日の青い夏空を見ていると、なんだか別世界のようですが、6月11日の京都は梅雨空で蒸し暑かったです。
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青木繁はちょうど100年前の1911年に亡くなられた画家。福岡県久留米生まれで、13歳の頃から洋画を習いはじめ、17歳で上京。1903年に画壇デビューしたものの、28歳という若さでこの世を去りました。
彼の作品の流れの一つは、神話や伝説。記紀神話などを題材に多くの作品を描いています。今回の展覧会のチケットに描かれていたのは、「わだつみのいろこの宮」。古事記の中の山幸彦が海底にある宮殿で、豊玉毘売待女に出会う場面がモチーフになっています。
この作品、彼は自信を持って1907年の東京府勧業博覧会に出展するものの、結果は3位という不本意にものに終わり失意に襲われます。その後、久留米の父が危篤との知らせを受け、久留米に帰省。九州を転々としながら制作を続けるが、中央画壇に復帰することはなく病に倒れ、なくなったのは28歳。才能がありながら、それを発揮する機会と時間に恵まれなかったけれど、懸命に自分の道を追求していた画家。今回の展覧会を見て、僕にとって青木繁はそんなイメージの人となりました。
もう一つの彼のテーマは海。パンフレットには「海の幸」という作品の一部が掲載されていました。一部というのは、この作品は「わだつみのいろこの宮」とは逆に、すっごく横長のキャンバスに描かれており、実際の絵は下のような大きな絵でした。(絵葉書より)
この絵は房総半島の浜で、三尾の鮫をかついで列を作って歩みを進める男たちの絵。夕日にてらされているのでしょうか、裸の男たちは不思議だけれど、力強い雰囲気を感じました。うまく書けないけれど、母なる海の厳粛さを彼は知っていたのではないかと思いました。
絶筆となった「朝日」。絵のことはよくわからない僕ですが、20代半ばすぎの青年にこんな絵が描けるのかと思いました。彼は父を見送ったのちの1908年には郷里を離れ放浪生活に入り、1911年3月入院先の福岡市の病院で死去したそうですが、絶望の中にも新しい日を迎えたかったかのような、そんな絵に思えました。
土曜日に通った近江大橋での一枚。いやいや青い空、夏本番です。
ちょっと収穫が遅れていたのですが、プランター栽培のジャガイモも収穫できました。この品種(レッドムーン)はプランターで育てるにはちょっと難しいのかもしれません。
サツマイモみたいな色していますが、ジャガイモです。この後サラダにして食べましたが美味しかったですよ~