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楽成頼功 [日記]

「楽成頼功」と書かれた扁額。

楽成頼功

明治とか三條の文字が見えます。

1月の上旬に京都・山科から大津の間の逢坂山を歩きました。

PXL_20220109_223608636.jpg

このブログにも何度か紹介しているウォーキングコース。

PXL_20220109_223523853.jpg

大雪が降ると通行止めになることもある道路なので、除雪用の車両が置いてあります。

旧逢坂山ずい道東口

逢坂山の峠を越えて大津の街に入る手前にあるのが、旧逢坂山ずい道東口。

旧逢坂山ずい道東口

明治13(1880)年竣工の、日本人の手によって作られた初めての山岳トンネルである旧逢坂山トンネルの東口です。

旧逢坂山ずい道東口

最初の写真の「楽成頼功」と書かれた扁額はこのトンネルのもの。「落成」は「落盤」に通じる忌み言葉であることから、縁起の良い「楽成」の字があてられたそうですが、「楽成」の文字面は確かにおめでたい感じはしますね…。



看板にある文章は以下のとおりです。


鉄道記念物 旧逢坂山ずい道東口
 このずい道は、日本人の技術者、技能者が主体となって設計·施工をおこなったわが国初の山岳ずい道です。
 明治11(1878)年10月5日東口から、また同年12月5日西口からそれぞれ掘削を始め、約1年8ヶ月の歳月を費やして明治13(1880)年6月28日に竣工したもので、大正10年8月1日、線路変更により廃線となるまで、東海道本線の下り線として使用されていたものです。
 全長664.8メートルにおよぶこのずい道は、当時の工部省(「明治3(1870)年に鉄道·鉱山·工作·灯台·電信·造船など、殖産興業のための官営事業をつかさどるために創設された中央官庁。95年廃止。」)の直轄であった生野銀山の労働者が伝統的なノミやツルハシを主体とした手掘りで掘り抜いたとされています。
 こうして完成した逢坂山ずい道は、鉄道の歴史に残る記念すべきもので、日本の技術史の上でも大きな意義をもつものです。
 坑門上部にある「楽成頼功」の篇額は、竣工を記念して時の太政大臣·三条実美の揮毫によるもので、「落成」は「落盤」に通じる忌み言葉であることから、縁起の良い「楽成」の字をあてました。
 日本の近代トンネル技術は、その後、世界的なレベルへと大きく発展することとなりました。
        鉄道記念物 昭和35年10月14日 指定
        西日本旅客鉄道株式会社 京都支社平成20年3月 設置

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