赤間神宮と耳なし芳一 [日記]
安徳天皇陵の隣の立派な朱塗り門は赤間神宮。明治の廃仏毀釈までは阿弥陀寺というお寺さんだったそうです。安徳天皇の陵墓もその境内にあったそうです。
安徳帝の母である建礼門院が、安徳天皇や二位尼が竜宮城にいたという夢をみたと平家物語に書かれているそうで、それにちなんで竜宮城を模したつくりになっているのだとか。
境内の端の方には「芳一堂」という小さな祠がありました。小泉八雲の『怪談』で広く知られるようになった「耳無し芳一」の芳一を祀っているそうで、昭和32年に建立されたそうです。
その先には「七盛塚」とも「平家塚」とも呼ばれている14基の墓が並べられた一角がありました。慶長年間に関門海峡で海難事故が頻発したときに、「平家の怨霊が騒ぎ出した」と世間が騒いだそうで、江戸時代になって裏の山腹に散在していた墓標を阿弥陀寺の境内に集めて弔ったのだとか。
京都の西大路八条にある「平清盛 手植えの楠」も、切ろうとすると祟りがあると、今も西大路道路が少し曲がっていることを思い出しました。
これで下関観光は終了。何も調べてなかったので、見逃したところもたくさんありましたが、また訪れたいと思います。このあと小倉に戻るのに唐戸から関門海峡を連絡船で渡るか、在来線でこの日2本目の海底トンネルで戻るか少し迷いましたが、下関駅も見たかったの電車で帰ることにしました。
芳一堂のことは初めて聞きました。
by JUNKO (2024-02-03 14:50)