丹波亀山城 [日記]
先々週、明智光秀が築いたという京都府亀岡市の丹波亀山城址に行ってきました。梅の花を見ようと行ってきました。
明智光秀により1577年(天正5 年)頃に丹波攻略の拠点とするために築城されたという亀山城。そのわずか2 年後に起こった「本能寺の変」では、光秀はここから京都に向かいました。
亀山城天守古写真(美田村顕教撮影) ぶらり亀岡 亀岡市観光協会サイトより
亀山城はその後、羽柴秀俊(小早川秀秋)に修築され、 1610年(慶長15年)天下普請により近世城郭としての五重の層塔型天守を持つ亀山城が完成したといいます。
明治維新で廃城処分となった城は、その後は所有者が転々とし、最終的には荒れ果てた城跡を1919年(大正8年) に新宗教「大本」が購入し、その後「大本事件」と呼ばれる弾圧を経て、今も同教の聖地となっています。
荒廃した石垣は大本によって修復されたそうで、見学を申し込むと内堀跡や本丸付近の石垣を見学できますが、天守や本丸跡は神域として立ち入ることはできません。
梅の名所としても紹介されることが多く、正門入口横の石垣付近などに約500本の梅木が大切に育てられているそうです。
暖冬で梅の花も時期が早まっていたのか、期待してたよりが花は少なかったのですが、それでもお城と花は似合います。
この本丸の石垣も昭和初期の弾圧で壊されたものを、大本が積みなおされたそうですが、下段1/3程度は壊されていなかったので、明智時代の石垣が残されていると受付の方に教えていただきました。
城門の新御殿門(長屋門)は少し離れた小学校に移築されているそうなので、また見に行こうと思っています。
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