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義経地蔵 [京都]

観光客でにぎわう蹴上インクラインの近くに一体のお地蔵さんがまつられており、近くの案内板には「蹴上義経地蔵」と紹介されています。

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正月三日の朝、近くの日向大神宮に参拝したときのインクライン。朝早かったのですが、観光の方らしき人も何人か歩いてられました。

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上の写真の画面中央付近にまつられているのが「義経地蔵」

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以下は京都市の設置した案内板の内容です。

「平安時代末期、義経(遮那王・牛若丸)は鞍馬山を離れ、平家打倒を胸に秘め金売吉次とともに奥州へ向かう途中、日ノ岡峠に差し掛かりました。行く手から馬に乗った平家の関原与一ら九人の一団とすれ違った時、一団の一人が誤って泥水を蹴り上げ義経の衣服を汚してしまいました。謝ることなく通り過ぎた一団の無礼に怒った義経は、九人を切り殺したと伝えられます(異本義経紀より)。
 斬り殺された九人の菩提を弔うために村人が九体石仏を安置しました。また異説では、九人を切り殺した後、我にかえった義経が自分の行為を悔やみ、村人に菩提を弔うよう頼んで旅を続けたとも伝えられます。九体の内、一体がここに祀られています。
 この地はもと九体町と呼ばれていて、花入れには義経大日如来と刻まれています。
 蹴上の地名は、この馬の蹴り上げか、力を入れて蹴り上げる「蹴り上げ」が由来と伝えられています。」

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泥水をひっかけられたくらいで9人も切り殺すとは、にわかには信じられない話ですし、この案内板では「蹴上」の地名の由来と断定調ですが、他にも説はあると聞いているので、京都に残る義経にまつわる伝承の一つとして理解しておけば良いのでしょう。でも、こうやって何百年も伝わっているのは、何らかの史実が含まれているのでしょうね。でも怖い話です…。

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U3

おはようございます。
その時代時代の、慣習とかしきたりとか、社会情勢・常識とかありますので、一概に『泥を掛けられて九人殺し』が非道かどうかは。私には判断できません。
むしろ義経一人に九人が斬られて命を落としたことの方が、むしろ武士としての名折れだったような気もします。
もちろん人殺しを肯定している訳ではありませんが。
by U3 (2023-01-08 10:58) 

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