熊本から霧島へ [日記]
馬刺しを食べた翌日、朝から熊本城を見に行きました。
ここにもドローン禁止の看板がありました。
この日(7月29日)も予報では徐々に晴れ間も出てくるということでしたが朝から曇天。お城の写真は青空の下で撮りたいな…。
前回は時間がなくて登れなかったまずは宇土櫓へ。
西南戦争以前の写真が飾ってありましたが、左端の立派な建物が宇土櫓。『本丸の西北隅に20mの高石垣の上に建つ3層5階地下1階、地上約19mの櫓で、天守並みの構造と大きさを誇ります。熊本城には天守とは別に、この規模の五階櫓(ごかいやぐら)が明治初年まで5棟(築城当時は6棟)存在しました。』(熊本城ホームページより)だそうです。
その宇土櫓の最上階からの大天守と小天守。まだまだ雲は重そうです。
ところが外に出てみると宇土櫓の後ろには青空が見えていました。西の方から徐々にお天気は回復してきているようでした。
熊本城は一昨年の12月に来たので1年半ぶり。相方は高校の修学旅行で熊本に来たようですが熊本城のことは覚えてないようでした。そんな話をしながら 「闇り通路」(くらがりつうろ)から天守へ向かいました。
青空もだいぶ広がってきていて、美しいお城を写真に収めることができました^^。
大天守から阿蘇山の方向を見ましたが、まだまだ雲に覆われているようで、前日同様山上はガスがかかってるんだろうな…なんて話をしていました。
前回は団体だったのでゆっくり見学できなかった、城内に展示されている資料もゆっくり見ることができました。これまでは歴史の教科書やドラマなどの知識しかなかった西南戦争について、もっと詳しく知りたいと思うきっかけになりました。
本丸御殿の「昭君の間」は実は「将軍の間」の隠語であるという説があるそうです。秀吉亡き後に加藤清正が秀頼に万が一のときは、熊本城に秀頼を迎え入れようと準備したというもの。
この説といい、西南戦争といい、歴史から見えてくることは、その理解には地政学的な視点が欠かせないということと、実際にその地に立つことで、理解が深まるということでしょうか。 ちょうど辺野古の”休戦”報道が流れていた時期でしたが、実際の政治にもそうした視点は欠かせないものだと改めて思いました。
二日目の宿は指宿。グーグルマップで見ると220km、車で3時間20分かかります。今回の二泊三日の旅行における相方の希望は、高千穂峡と指宿の砂風呂の二つ。移動距離はけっこうありますが、砂風呂の営業時間中に指宿に着くように時間と天気を見ながら移動していけばいいので、けっこう気楽なものでした^^;
天気が悪ければ一気に鹿児島まで行って、桜島や知覧に行く手もあったのですが、回復してきたので霧島神社にカーナビをセット。するとカーナビはえびのジャンクションから宮崎自動車道経由で東から霧島に入るルートを示しました。頭の中では西側からのルートを想定していたのですが、とりあえずカーナビに従って走りました。
小林インターをすぎたところの霧島サービスエリアに車を止めると、北側から霧島連山が見えます。高千穂山から韓国岳までの眺めはなかなかのいい感じでした。上の看板写真の左下に新燃岳の噴火時の様子が紹介されていますが、火山活動が活発化している中、このあたりは平穏のままであってほしいものです。
霧島神宮に参拝しましたが、駐車場付近の造成工事の工事車両の騒音で、人は少なかったものの静寂とは遠い環境でした。
霧島神宮から『霧島神話の里公園』へ行きましたが、残念ながら霧島から桜島は見えず。前回もうっすらとしか見えなかったのですが、それでも12月で空気が乾燥して澄んでいたんでしょうか…。夏、特に湿気が多いときは、モヤっとすることが多いのかもしれません。
その後『丸尾の滝』へ立ち寄りました。ここは初めて来ましたが、高さ23m、幅16mだとか。上流の温泉の湯が流れているので滝壺はなんとなく温泉色してるし、触れると温かいそうです。そして温泉のお湯がしぶきになって飛んでいるので、硫黄臭がする珍しい"温泉が流れ落ちる滝"でした。
人が大勢来るところは、ドローンは禁止でしょうね。
by starwars2015 (2015-08-16 18:45)
豊臣方に味方した大名の城には、黒っぽいのが多いと聞きましたが、本当でしょうか?松本城も黒いですね。だからよく分かりませんけど。
by okko (2015-08-17 15:49)