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山科から逢坂山あたりの旧東海道 [日記]

7月中旬、まだ梅雨明け前のことですが、京都東IC近くの陸橋から写した国道一号線。
京都方面からの旧東海道、国道1号線、旧国道1号線が合流し、大津へ抜ける逢坂越と湖西道路へ分岐する、ややこしい地点です。

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ちなみに右方向にカーブしている先が逢坂の関がある逢坂越。緊急事態宣言中なので普段よりはかなり空いている感じ…。先月のお盆には国道1号線だというのに、大雨で1週間ほど通行止めになっていました。



道路看板には「四日市」の文字が出てきます。右1号線の先も、左161号線の先も大津市なので、あえて大津とは書いてないのでしょうが、「四日市」は遠すぎてちょっと唐突な印象です。いっそのこと名古屋と書いてあった方がわかりやすいかも…。

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近くには「旧東海道マップ」という看板がありました。新旧の国道や名神高速に京都東インター、西大津バイパスなどの道路が複雑に交差して往年の面影は無さそうですが、東海道の趣きが残っているところも少しはあります。

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この案内図にも載っている閑栖寺というお寺の前には、「車石・車道」の看板があります。

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江戸時代、大津と京都の間の東海道には、牛車が通行しやすいように厚い花崗岩が敷かれた、今でいう舗装路になっていたそうです。

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今から200年以上も前の1802年には、既に歩車分離の道路が整備されていたというのは、けっこう新鮮な驚きでした。

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硬い石も車輪に削られ、やがて深い轍になったということで、その石を細く切ったが置かれていました。

江戸時代、歩車分離の道路に人や牛舎が行きかう姿を想像しながら、僕も少しだけ歩いてみました。



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