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青函連絡船の可動橋 [日記]

青森で撮影した青函連絡船の ”可動橋”。青函連絡船による鉄道車両輸送により、貨車をそのまま船に積み込んで運ぶことで貨物列車から船に荷物を積み換える必要がなくなり、本州と北海道の間の物流が大きく改善することになったそうですが、それを支えた、陸地と船の接続部がこの”可動橋”です。

青函連絡船の可動橋




青森県観光物産館アスパムで日本酒飲み比べをいただいた後は、「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」へ向かいました。既に時刻は4時。八甲田丸は5時までなので急ぎます。

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帰ってから国土地理院の写真を見ると、上の写真を撮影したのが下の写真の黄色矢印付近になりますね。青い屋根の青森駅の右上に八甲田丸が見えます。


同じ国土地理院の地図で、1974年-1978年の青森駅周辺の航空写真をみると、駅の東側から北側に3隻の青函連絡船が写っていました。青森桟橋は、この写真の下から第一桟橋(132m)、第二桟橋(265m)、第三桟橋(159m)と、3つの桟橋があり、八甲田丸が係留されているのは第二桟橋ということになります。


可動橋には3線分のレールが敷かれ、短時間に車両甲板(車両甲板船尾端を起点とした船内軌道が3線敷設)へと50両前後の貨車を運び入れることができたということです。

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そんな貨車を船に積み込むシーンがYouTubeにあったので埋め込ませていただきました。


そもそも青函連絡船は1908年(明治41年)に蒸気タービン船2隻で始まった青函連絡船は、1925年(大正14年)から鉄道車両を輸送するようになったということです。

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それまでは青森と函館で鉄道⇒船⇒鉄道と積み替えを行っていたということです。

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この可動橋「正式名は青森第二岸可動橋」は、大正14年の車両積載時に建築され、昭和27年8月に横川橋梁によって改築されたもの。

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時間によって潮の干満で水位が異なり、また波があるので揺れる船と陸地をレールでつなぐのは難しそうですが、この橋はその高さや揺れに対応してレールをつなぎました。

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可動橋に詳しくはありませんが、仕組みとしては、まず陸側には端桁と呼ばれる6mの橋がありここで波動?の上下動に対応し、その次の主鉄塔に吊り下がる部分で最大1.5mあるという干満差に対応し、最後に船側の6mある補助桁で船体の傾斜や動揺に対応するのだそうです。とにかく陸地と船のレールをつないだというのはすごいですね。

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可動橋と青函連絡船八甲田丸は、日本機械学会の機械遺産にも認定されています。おそらく様々な改良が加えられたのでしょう。

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今ならセンサと油圧装置で制御するとかになるのでしょうが、メカで対応していたというのは、機械好きにはたまりませんね。まさに機械遺産だと思います。





昨日の仕事帰りに桜の様子を見てきました。木屋町六角あたり。

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明日、明後日には満開になりそう…。今日の雨には耐えてほしいものです。

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コメント 2

JUNKO

連絡船懐かしいです。修学旅行で何度も乗りました。イルカが見えて楽しかったです。
by JUNKO (2024-04-03 16:36) 

めぎ

↑私も修学旅行で中学高校と計4回乗りました。懐かしいです。
by めぎ (2024-04-04 03:17) 

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